心を発見する心の発達

心を発見する心の発達―心の宇宙〈5〉 (学術選書)
心を発見する心の発達―心の宇宙〈5〉 (学術選書)板倉 昭二

京都大学学術出版会 2007-10
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自閉症は何の障害か、という論争は古くて新しい。70年代までは「コミュニケーション障害」だった。それが1982年ローナ・ウィングによって否定され、ウタ・フリスの精力的な調査により「心の理論」に焦点が当てられる。他の人の心を感じ取れる能力。これはバロン=コーエンに引き継がれ「マインド・ブラインドネス理論」となっている。でもこのことで、二重の誤解を産んでしまったと思う。
一つは、「他の人の心を感じ取れる能力」を共感だとする誤解。いや、自閉症の子でも共感能力の高い子はいる。どちらかというと高すぎるあまり、集団の力動が騒がし過ぎて、入っていけない場合もある。「和をもって尊しとなす」のは日本の村社会の話で、アメリカ人が気にするわけがないじゃないか。そもそも、英語で「空気を読む」なんてどう言うんだい? そうではなく、「心の理論」とはメンタライジングのことである。これが、日本人にとって難しい。共感とメンタライジングの区別が日本語では付けにくい。精神分析ではフォナギーが「メンタライジング・ベースド・セラピー」を提唱しているので、英語圏の人には馴染みがあるようだが、どうやら、I think that he thinks that ....のようにthat節を入れ子状にしていく能力のことらしい。まあ、昔フォナギーの勉強会を開いたとき、そこあたりで躓いた覚えがある。
もう一つは、「心の理論」が自閉症の原因だという誤解。通常でも獲得が4歳にされる「心の理論」が、生まれつきの障害である自閉症の「原因」なはずがない。ちょっと考えれば分かる。「心の理論」の獲得が遅れるのは「結果」である。それ以前から、何かが発達を阻害する要因として働いている。そう見るべきだ。また、阻害されているだけなので、「心の理論」が獲得できないのではない。軽度の発達障害であれば、7歳くらいにはすでに獲得できている。だから「メンタライジングが出来ない」ではない。苦手なまま成人を迎える人もいるが、それは適切な関わりを受けられなかったからではないか。だって、メンタライジングがどう発達するかなんて、一般の人たちには知識がない。どう積み上げていけば良いかを知らなければ、話は始まらない。
そこで、この本である。京大文学部発達心理学の板倉先生。なかなか面白い本を書いておられる。ロボットやアニメーションを用いて、乳幼児の子どもの発達を調べている。発達心理学が現在、到達しているメンタライジング研究の成果を、とても分かりやすい実験を交えながら紹介されている。生まれたばかりの赤ん坊でも、母親の声と他人の声が区別できたり、相手の眼差しを読んで追視する能力が段階を経て進歩したりする。そうした0歳からの発達段階を、メンタライジングに関して描き出すことに成功している。
それにしても興味深いのは、人間の子どもが「障害者」として生まれてきているという事実だ。チンパンジーやオランウータンに比べ、乳児はいくつかの課題で「失敗」をする。たぶん、ポルトマンの生理的早産説のとおり、二足歩行で産道が狭くなった分、人間は胎児の状態で生まれてしまうのだろう。そしてそのことが人間の持つ柔軟性、言語の獲得、そして高度なメンタライジングを可能にしている。「遅れ」が「溜め」となって、後々のシンボル操作を、つまりは文化を更新していく機動力を産み出している。「遅れているから悪い」ではない。とすると、自閉症圏の人の「増加」は、何かこれから新しい「文化」へと跳躍するための準備を「人類」の水準で始めているということだろうか。水樹和佳の描く「スリーピング・チャイルド」のように・・・。


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