つながりの作法

つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく (生活人新書 335)
つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく (生活人新書 335)綾屋 紗月 熊谷 晋一郎

日本放送出版協会 2010-12-08
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アスペルガー障害当事者の綾屋さんと脳性麻痺当事者で医師の熊谷先生。前作のコラボ「発達障害当事者研究」より更に一歩踏み込んだ考察です。
今なんだか「発達障害」がブームらしく、心理学のコーナーに行けばその類いの本ばかり。どうも文科省が「不登校もイジメも引きこもりも、その根底には発達障害がある」という安易な風説に飛びついたせいでしょうか。70年代に流行った行動分析が再ブームになっていて、タイムスリップしたようなめまいを覚えます。ただ70年代の暗黒時代と違い、障害の診断を受けた人たちが大人になり、自分たちの体験を発信してくれるようになったのが今の時代のメリット。「専門家」たちが外から見て「ああだこうだ」言ったところで憶測に過ぎない。実際のところ、どういう生きにくさを抱えていて、どう支援すればそれが少しでも楽になるかは、当事者の人たちの言葉を聞くに限る。統合失調症に関して「べてるの家」で行われている当事者研究が、こうして別の「障害」についても広まっていくのは頼もしく思えます。それにしても、入力の序列化が出来ない「寸断された身体」に苦しみ、渾然とした情報を分節化する「言いっぱなし聞きっぱなし」の環境が主体性を産み出す手掛かりになる。問題点も対応策もラカンで解けそうな印象を持つけど、自分の言葉で「研究」するのでないと落ち着きには届かないのだろう。
やっぱりポイントは、自閉症スペクトラムの三つ組みとされる「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「こだわりの強さ」でしょうか。これ、逆さまに書けば「人付き合いが上手く、話し上手で聞き上手。しかも何にもこだわらない」を「定型発達」とする思想。よく考えてみてください。「あなた」はこの「定型発達」に当てはまりますか。違和感ありません? それもそのはずで、この「定型発達」は、第一次産業の時代が終わり、工業化の時代も過ぎ、商業社会においてでないと現われない「人種」を想定しているからです。セールスマン。人脈で動き、セールストークを駆使し、上司の命令とあれば自分の信念を捨てるマニュアル人間。それが現代社会で求められている「定型発達」。そして、それを前提に経営される学校教育。
その中で「生きづらさ」を感じる人が増えているのは自然なことです。ほとんどの子どもたちがイライラしている。そして潰し合いをし、弱いところから脱落していく。それを個人の「障害」としても、確かに一因ではあるけど、それだけのこと。「障害」と診断される人の数が増えるだけで、問題は先送りされる。この状態を、あと10年続けますか。それとも20年? 現状のように「5%が発達障害」と言ってる時点で、社会全体のバランスが取れていない。20人に一人が生きづらいのだったら、そのシステムのデザインが悪いでしょ?