対人援助職のための認知・行動療法

対人援助職のための認知・行動療法―マニュアルから抜けだしたい臨床家の道具箱
対人援助職のための認知・行動療法―マニュアルから抜けだしたい臨床家の道具箱原井 宏明

金剛出版 2010-12
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山上敏子先生の直弟子、原井宏明先生。行動療法のポイントを実践的に書き留めてくれている。これを読むと、世の中で「行動療法」と呼ばれるものとの違いに驚くんじゃないかな。少なくとも僕は驚きました。ここまで明確に「行動療法」を描き出せる人は珍しい。
個人的に好きなポイントは3点。一つめは「死体のテスト」。うん、これ初めて知ったときは硬直しましたよ。うまい定義だ。行動療法では、外から見ることの出来ない、感情や思考も「行動(behavior)」として扱います。日本語の「行動」とニュアンスが違うのです。でもなかなか、他の人にこの違いを説明できない。それを「行動とは、死体には出来ないこと」と一行で済ましてる。そのとおりです。だから「パニックを起こさないこと」や「教室で静かにしていること」は「行動」になりません。そんなことは死体でも出来る。そして、死体でも出来ることを目標にすると、間接的に「死体になれ」と命じてるようなものなんです。「死ね」と言うのと変わりない。そうじゃなく、生きている人間だから出来ること。「意図的にパニックを起こす」や「思ったことをノートに書いてみる」が「行動の目標」。これをハズすと行動療法になりません。
二つめはエクスポージャの使い方。エクスポージャは、通常は「クモ嫌いの人の手にクモを載せて、それに耐えてもらう」みたいな荒療治だと思われているんですが、原井先生のはエレガント。問診の中で「ああ、そうすると、その秘密がご主人に分かってしまうと困りますね」みたいに、その人が想像することさえ避けている状況を敏感に察知し、さりげなく会話に織り込む技法となってます。それがエクスポージャ。精神分析だと「直面化」の技法。安心できる状況と、緊張を起こすイメージが同時に与えられると、人はそのイメージに「馴れ」が生じます。そして、馴れてしまえば、自分の行動を制限していた理由がなくなってしまう。恐怖症治療の基本形ですね。
そして最後に、タクトとマンドの区別。スキナーが唱えた言語行動論に「タクト(状況記述。contact)」と「マンド(要求命令。command)」があります。行動主義心理学にとって基礎となる概念ですが、これを心理療法にどう組み込むか、僕は分かっていませんでした。そうか、「マンドはマンドを呼ぶ」という法則があるのか。つまり「どうしたら良いですか」と訊かれたとき、それに「こうしたらどうでしょう?」とアドバイスすると、「他者への要求を強化する」側面がある。「どうしたらいいか」は「私に命令せよ」という命令なんですね。だから原井先生が挙げてるように、「先生、そのカルテを書き換えてください。書き換えてくれたら、何でもしますから」「何でもって・・・、じゃあ、奴隷になれと言ったら、奴隷になるんですかッ?!」「ええ、奴隷にでも何でもなります。だから、私の言う通りにしてください」みたいなパワーゲームになる。どちらが命令するかの争い。これを避けるには、マンドにはタクトで返せば良い。
原井先生の深いところは、こんなふうに、まだ若い頃の失敗談をちゃんと載せてることかな。とても恥ずかしいのに。そして凄いのは、そのクライエントの要求を「この患者はクレイマーだ」といったラベリングに堕ちず、「うっかり強迫症状とケンカしてしまった」と反省していること。症状を外在化し、クライエント個人と区別してる。だから、クライエントと治療契約を結び、協力しながら治療を進めることが出来る。クライエント個人への信頼が基盤にあるからね。行動療法はスキルではなく、スタンスなんだなあ、と思いました。