ブリーフセラピーの技法を越えて

ブリーフセラピーの技法を越えて―情動と治療関係を活用する解決志向アプローチ
ブリーフセラピーの技法を越えて―情動と治療関係を活用する解決志向アプローチイブ リプチック Eve Lipchik

金剛出版 2010-08
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最近面白い心理療法の本が無い。一時期システム療法系の著作が多量に翻訳されていたが、最近それも下火になっている。ド・シェイザーやマイケル・ホワイトといった第一世代の天才たちがこの世を去ったからだ。次世代は、そうした巨人の業績を小粒にまとめるだけ。灯を絶やさないので精一杯。新しい発想の生まれる余地がない。
そうした中、まだ第一世代の香りの残るリプチック女史。そうは言っても原著は10年前のもので、これでさえ時代遅れなんじゃないかと心配になる。翻訳文化日本の宿業だな。内容的には解決志向アプローチにおいて、どう情動を扱っていくかという話。当り前だけれど、新しい技法を他の臨床家たちに普及させるとき、その技法の特徴的な部分をプレゼンテーションする。つまり、従来とはどこが異なるかの差別化を図る。ワークショップで感銘を受けた参加者は、自分の職場に帰ってその素晴らしさを吹聴する。そこまでは良いんだけど、こういうシンパの人たちって「従来の心理療法」を全面的に否定するんだよなあ。「システム療法では個人の内面は扱わない」とか。ウソである。ワークショップの短い時間で説明するため、端折ってある部分がある。それは「心理療法として普通のこと」の部分。「イチゴケーキ」は「イチゴ」が特徴だけど、他のケーキと同じように「ケーキ」の部分がある。「ケーキ」が無ければ、ただのイチゴでしかない。その「普通のこと」をシステム療法ではどういう観点で見ていくかまとめたのが、この本。要するに「情動の扱い方」のことだ。
精神分析サリヴァンや、オートポイエーシスマトゥラーナらが下敷きにあるのだが、これがヒドいな。訳がヒドい。「情動的風土」って、サリヴァンの「場の雰囲気」じゃないか。「聖ポール」って誰だよ。「聖パウロ」のことだろ。リプチックさんは深い考察をしてるのに、翻訳レベルの教養が低過ぎて、何の話をしてるか見えてこない。分かるところでミスが見えるから、分からないミスも隠れてそうで信用できない。システムを扱うということは、ポストモダニズムの「間主観性」をテーマに置くことである。それは漁師が船にいながら、海の底に流れる潮の気配を読み取るような感性が要る。そのためのコツやケース・スタディが並んでいるのに、その繋がりが不明瞭になっている。ゼミでの発表レベルの翻訳で金取るなよ。
宮田先生も監訳者なら、下訳に目を通してダメ出ししておいてくれ。翻訳は、英語を日本語に置き換えることではない。まさに、その本の持つ「風土」を日本にもらたすことである。せめてサリヴァンマトゥラーナの勉強会を開き、「もしリプチックさんが日本語で本を書いたとしたら」のつもりで訳してほしい。でないと、原著者に対し失礼な振る舞いだと思う。