かかわり方のまなび方
かかわり方のまなび方 | |
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最初の西原由記子先生との対談から、ガツンとやられましたね。いのちの電話のカウンセラー。本場イギリスで口頭試問を受けたとき、「あなたは、人に死ぬ権利があることを認めますか」と問われる。Yesであれ、Noであれ、試問官の心を動かせるような答にたどり着かないといけない。そして、そんな答、たどり着けるわけがない。だから電話一本一本に、「出来合いの答」ではない応答を求めて向き合っていく。いやあ、本当の一本勝負だわ。「私には、あなたの決意についてどうこう言う権利はない」ということを、どこまで肝に銘じているかが問われる。電話は、もし応答を外したら、すぐに相手から切られる。切られたら、もう打つ手はないのだから。
「ワークショップ」が、「ファクトリー」に対するカウンター・コンセプトだというのも、初めて知りました。レヴィンのTグループやロジャーズのエンカウンターが、デューイに源流を発していることも。そうですね。ファクトリー(工場型)、つまり産業革命と並行して作られてきた大量生産型教育に対抗して登場した、旧来の師弟制に根ざす教育。それが「ワークショップ(工房型)」。時代から見れば時代錯誤な反動なのだろうけど、必ずそういった揺り戻しがやって来る。ワークショップの歴史の中でも「中興の祖」的な存在が現われ、デューイへの回帰が行われる。「教育」は「火の鳥」なのだろうと思います。年を経、自らが老いてくると燃えさかる火のなかに飛び込みその身を焼き、また雛鳥の状態からその生を始めようとする。死と再生を繰り返す生き物。
「教育」が伝えようとするものは「あり方」なのだけれど、これは伝えようがない。弟子が自ら掴み取るしかない。師の「あり方」は、実際の生の中で「技術や知識」として現実化し、その水準であれば弟子にも見える。弟子は自分の「あり方」に肉薄するために、師の「技術や知識」を伝承する。でも、それが世代交代するうちに風化していく。受け取りやすいレベルしか伝わらない。そうなったとき、突如全く別の領域から「あり方」を問う人物が現われ、そして「教育」を刷新していく。西村先生は、その「あり方」に近づきたい。「教育」という氷山の、海の底に沈む部分の底面をなぞりたい。そう願って、対談の旅を繰り返している。終わりなき旅の記録です。