RDI「対人関係発達指導法」

自閉症/アスペルガー症候群 RDI「対人関係発達指導法」―対人関係のパズルを解く発達支援プログラム
自閉症/アスペルガー症候群 RDI「対人関係発達指導法」―対人関係のパズルを解く発達支援プログラムティーブン・E. ガットステイン 杉山 登志郎 小野 次朗

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ちょっとウソっぽい、ガットステイン先生の指導法。自閉症に対する他のセラピーを批判しながら、でも自分たちのセラピーの効果がどうかの話は出て来ない。しかも発達心理学に準拠しているフリをしてるけれど、前半の3段階は分かるが、後半の「世界の共有」とか「問題解決」とか、何を論拠にしてるのか分からない。でも、このいい加減さが、実は良いのかも。
自閉症の治療論は、ベッテルハイムの昔から、自分自身が自閉症親和性のあるセラピストが関心を持つ傾向がありました。統合失調症の権威とされるお医者さんは、たとえばサリヴァンとかシゾイドっぽくて、境界例の権威とされるお医者さんは、たとえばカンバーグとかボーダーっぽい。そもそも精神分析フロイト自身が広場恐怖症の持ち主。自分のことだから親身になって深めていける。そういうわけで、自閉症に一家言ある人は自らもアスペっぽい。論拠がどうのこうの、定義がどうのこうの、ってうるさい。学会でも垂直に挙手してワンパターンの質問をする。まあ、それはそれで良いんですけどね。
どうもガットステイン先生は自閉症圏の人じゃないみたい。だいたい「世界の共有」とか出来るんだったら、その子はもう普通に暮らせるレベル。そこまでが大変だから、RDIで参考になるとしたら「情動調律」や「共同注意」をテーマにした遊びの部分かな。提案されている「こっちを見たら変な顔をする」みたいな方法が効果あるとは思いませんが、発達段階に合わせテーマを絞り込んでおく発想は賛成です。あれもこれもやらせようとするから、どれも出来ない。せっかくやるんだったら、大人も一緒に楽しめるほうが長続きする。RDIのキーワードは「シェアリング」だと思うけど、「モノの共有」から始まり「関心の共有」や「気持ちの共有」、最終的に「社会的交流」に繋いでいくその道筋には、「人といることは楽しい」という「楽しさの共有」がある。この点を外したら、子どもが社会参加に関心を持つはずがない。そういう意味でも、RDIは本質を突いていると思います。
でも、自閉症向けのセラピーは(ベッテルハイムの末裔である)TEACCHであれ(思い込みの激しいマイケル・ラターの)行動分析であれ、「構造化された環境で、一対一のセラピーを週20時間以上」の条件が付いている。これが日本では誤魔化されてるなあ。週20時間ですよ。週1時間のカウンセリング・ルームでは、どの技法も無効なのです。反対に言えば、一日3時間以上、一対一で付き合ってくれる大人がいれば、何でも良い。うーん、過激なことを書いちゃうけど、技法は関係なく、ただ「刺激の少ない、分かりやすい環境」と「一緒に楽しさを共有してくれる大人」がいれば、「発達障害」の大部分解消できちゃうんじゃないか。今は大人が子どもに「あれしろ、これしろ」とうるさい。根本にある自閉傾向は変わらなくても、アスペっぽい人なんて、数学教師してたり児童精神科医してたりするじゃないですか。高望みしなかったら良いんですよ。楽しく暮らしていければ。
さて、「週20時間以上」を親の愛情でカバーできた時代は、専業主婦を前提にした「過去」に過ぎない。女性の犠牲の上に成り立っていた。1980年代、ローナ・ウィングが母親として行動分析アプローチを断罪したのもこの点か。この方法論を捨て、現代において出来ることは何だろう?