自分探しと楽しさについて

自分探しと楽しさについて (集英社新書)
自分探しと楽しさについて (集英社新書)森 博嗣

集英社 2011-02-17
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最近「自分探し」がマイ・ブームなので、ちょっと読みあさってます。そこでまず、森博嗣。工学部の助教授でミステリー作家。とてもへそ曲がりな発想をする先生なので、下手な「専門家」の本よりインスピレーションが貰えるんじゃないかな。そう思って読んで、ビンゴでした。
学生や読者から相談を受け、それにどう答えてるかの話なんですが、全然「答」なんて出してない。うまく悩ませている、って印象ですね。「自分探し」なんてテーマを立てると、「さて、その自分とは何か」と議論が転じ、「何が自分か。自分とはあるのか」のお決まりコースを進むのですが、森先生は早めにここを抜け出している。問いの立て方が違う。「自分探し」という言葉が隠しているものへと入る。「自分」という言葉に騙されない。だって、相談してる人は「誰にでもある、自分というもの」の話がしたいんじゃなくて、「私にしかない自分」の話をしたくて相談してる。概念の話じゃなくて、「この身」の話がしたい。なのに考え始めると、概念の「自分」に流され、インドに行くんだよなあ。そこじゃない。他でもない、この「自分」の話だ。
これ、ニコニコ動画を見るとき「タイトルからすると、この動画の内容はどのようなものか。サムネイルをそのまま信じて良いものか。釣り動画で、途中からアニキが出てくるんじゃないか」と疑心暗鬼になるよりも、さっさと動画をクリックすれば良い。「あれこれ考えるのは、中身を見てからで良いじゃないか」路線ですね。だから、相談に来た人に「それで、海外旅行をすると、何がどう変わると思う?」と尋ねれば良い。それだけのこと。
そういう風にしていくと、どうやら「自分探し」とは「生きているのが楽しい」という感覚に近づきたいという思いらしい。なるほど。「楽しい」と思いたい。じゃあ、「楽しい」って何だろう? そう問い方を変えると、これは考え甲斐がある。それって考えること自体が楽しい。森先生の立場は「今ここで楽しさを見つけていく」という立場。「何かして、遥か遠い未来において、やっと楽しくなる」という考えだと、「今は楽しくない」と言ってるようなもの。そうじゃない。「いま楽しい」になるにはどうしたらいいか。そりゃあ、「今」を楽しめば良い。
で、そこあたりはいろいろあるから、いろいろ考えていくと一冊の本になるわけです。しかも、そのままが自分の生き様だから、40代にもう助教授の仕事を辞めてフリーターになっちゃったんですね。自分が楽しいことをまず先にやる。お金は後からついてくる。ついて来ないなら、来ないなりの楽しみ方が人生にあるし、ついて来ても、すでに人生を楽しんでいるから、そんなにお金がかからない。分かってますよ。でも実践してるのが凄い。