ヨスガノソラ


地上波なのに性行為の描写がある。石原都知事が知ったらぶち切れそうなアニメ。でもストーリーが良いね。なぜヒロインが恋に落ちるのかがよく伝わってくる。また主人公の心の揺れもうまく描き込まれている。それぞれの想いが交叉する中で性的描写が入るので「美しい話」になってます。でもポイントはそこじゃない。
このアニメが実験してるのは「ルート分岐」。マルチエンディング・ゲームの「分岐」の考え方を導入して、1つのアニメなのに4つのルートが用意され、それぞれに別々の「最終回」がある。見る回によって時間軸が前後するため、視聴者の時間感覚を揺さぶります。怖い方法だと思う。何が怖いかと言えば、互いが真剣に相手のことを想いながら深めていく「恋」が、実はたわいのない「偶然」による分岐に過ぎないことを暴いてしまうから。
分岐はいつも「見るなの禁」の形態をとる。ヒロインの持つ「秘密」を偶然に主人公が知ってしまうことで、それまでその共同体にあった「平和」が危機に瀕してしまう。たとえば出生の秘密や両親の不和。そうした事実を知ってしまった主人公が、それに悩むヒロインを助けるために心を砕き、別の秘密に行き着き、新しい関係性を産み出すことで共同体が再度安定化する。固苦しく書くとそういうことね。父親の隠していた「秘密」にその優しさを見、親子関係が修復されるとか。「見るなの禁」で始まる危機状態が、別の人の「見るな」を見つけることで修復される。シリアスなドラマなのだけど、これが4人のヒロイン全員にあり、どの「見るなの禁」に主人公が気づくかによって「恋」の終わりが異なってくる。そして、どれに気づくかは全くの偶然。他のヒロインたちの苦悩は、別のルートのときには表に出て来ない。秘められたまま。怖いです。
それと、関係性の変化が成立するには、それ以前に濃厚な関係性をもとにした共同体を前提にしている。主人公は両親を亡くしたため、コンビニのない山村に引っ越してくる、という始まり方をしている。なぜか。都会では関係性が希薄なため、親の秘密が明らかになったところで、何も起こらないからじゃないだろうか。原作者はそのことに気づき、敢えて舞台を「田舎町」に移したのだと思う。きっと都会では、ヒロインの「秘密」を解消するところまでストーリーが進まずに頓挫する。他の関係性へと広がらない状況であると、別の「見るなの禁」を持込めない。「恋」が「恋」として深まっていかない。もとの苦悩が少女を苦しめ続ける。
そのことが露わになってしまったのが、いま進行中のソラ・ルート。主人公が妹と性的関係に落ちてしまうケースですが、妹にとって、兄である主人公との関係以上のものがないため、苦悩を解消する方向に進まない。「恋」には、本人を支える「もう一人の他者」が必要になる。でも、両親を亡くした妹にはそれがない。兄がいなくなれば自分は孤独に取り残される。恋ではなく恐怖。これに対して、スタッフは何か「答」を出せるだろうか。
http://www.starchild.co.jp/special/yosuganosora/


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まあ、こんな妹いないけどね。まだ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のほうが実感だわ。