現象学ことはじめ

現象学ことはじめ 第2版
現象学ことはじめ 第2版山口一郎

日本評論社 2012-10-19
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久しぶりのブログ更新である。一年近く空いているが、何をしていたかといえば、フロイトの洗い直しである。フロイトが始めた精神分析は、イギリスに渡り対象関係論となり、アメリカに渡り自我心理学となった。どちらもその土地に受け入れられるように変形し、イギリス経験論との融合が見られる。イギリスの哲学は後天的要素を重視する。ジョン・ロックの亡霊に取り憑かれているからだ。それが母子関係の重視に繋がり、日本に入るとさらに「母親の育て方」という道徳になってしまう。しかしそれは、フロイト精神分析ではない。

フロイトの発想は、フロイトの単独の哲学ではない。必ず、同時代の思想家たちからの影響を受けている。真空で作られたわけではない。すると、当時のドイツでの心理学や哲学を調べ直さないと、フロイトが何を疑問に思い、誰に向けて言葉を連ねているか、不可解になるだろう。たとえば1923年の『自我とエス』は、同年にマルティン・ブーバーが上梓した『我と汝』を無視して論じても無駄である。なぜなら『我と汝』には「Ich und Es」についての考察があるからだ。同時代のユダヤ人の思想家が書いた文章をフロイトが読まなかったとでも言うのだろうか。それはないだろう。でも、アメリカに渡ったとき、そうした事実は考慮されずに Ego や Id という学術用語で「自我とエス」が語られる。いやいや、「我とソレ」なのだよ、これは。
そして、同時代人として無視できないユダヤ人に、エトムント・フッサールがいる。フロイトと同じウィーン大学で、同じブレンターノ教授に師事した哲学者。3歳下の、この後輩の動向をフロイトが知らなかったとは思えない。しかもブレンターノの「志向性」という概念は、フロイトが「リビドーの備給」と呼んでいるものだ。「表象」に関する考察も「欲動」に関する考察も、ブレンターノが道をつけ、フッサール現象学という体系に仕上げている。それがフロイトにとって他人事であったとは思えない。


そんなわけで、現象学の入門書です。どの本を読んでも、七面倒くさいばかりで全体がイメージしにくい。そんな中で、現象学が日常の感覚を描写するための哲学だということを噛み砕いてくれていたのが、この本。なんとか読めました。部分的に、たとえば中島義道分析哲学として批判してるところは、なんか自説の正統性を主張するために嘘をついている印象がするんですが、一般向けだとそんなデフォルメも必要なんでしょう。寛大な気持ちで、眉唾半分にして読み進めると、なかなか忠実にフッサールの思考を追いかけている本だと思いました。
ポイントは「受動的綜合」ですね。木村敏先生だと、フッサールの前期の「ノエシスノエマ」で止まってるんだけど(そのせいで、フロイトに繋がってこない)、山口先生は後期フッサールを中心に置いているので「間主観性」の考察に力点があります。「受動的綜合」とは、人が自分の体験を意識する以前にすでに体験をしているという事実。当たり前のことです。体験それ自体と、体験に対する意識とを分けて考える。この「体験それ自体」の考察が、まるで西田幾多郎のような世界になっています。というか、西田哲学の上位互換。西田哲学だと、赤ん坊の主客未分と、禅師たちの絶対矛盾的自他同一が同等のものかのように書かれているけれど、それだったら精神病に苦しむ人たちがいる理由が説明できない。主客未分が「悟り」になっちゃうから。でも、主客未分は苦しいよ。いろんな情動が自分の身体を貫いていって、内か外か分からない。そこあたり、フッサールは明確な区分をしています。
この「受動的綜合」がフロイトにおける「エス」なのだと見れば、受動的綜合から自我の立ち上がる様をフッサールが描写しているのも、まるで精神分析の論文のように見えてきます。というか、時代的にはフッサールのほうが先に言ってるから、ここあたりフロイトがパクってますね。フッサールの考えを援用しながら、それを治療に生かす道を考えている。
というわけで、フロイトの論文を読むには、現象学を知ってないと読み間違うだろうと断定していい。とても似てる。たぶん、互いに相手を意識して、自分の思想を深めて行っている。よきライバル関係にある。それを無視した心理学的な読解をフロイトにしてみてもハズレを引くだけ。それと、現象学では「普通のモノの見方」の成立は分かっても、神経症がなぜ人間にあるかは説明できない。たいていの人間は、多かれ少なかれ、神経症的な部分を抱えている。フロイトにとっては、そちらのほうが重大事です。現象学はそれには答えない。それで、精神分析は哲学とは異質なものに変容していくと思んだけど、それについてはまた機会のあるときに。