科学の剣 哲学の魔法

科学の剣 哲学の魔法―対談 構造主義科学論から構造構成主義への継承
科学の剣 哲学の魔法―対談 構造主義科学論から構造構成主義への継承池田 清彦 西條 剛央

北大路書房 2006-03
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人間の形質が遺伝子で決まるとお思いですか。もちろん、そんな素朴な生物学はゲノム研究によって否定されました。メンデルの遺伝学は、実験助手たちが「先生がお喜びになるだろう」という理由で集めた、都合の良いデータだったというのが今の定説です。騙されてましたね。でも、そういう事実が明らかになる前から、日本には「進化論や遺伝子論はウソだよ」と言ってた生物学者がいました。池田清彦。この人の文章、知的にワクワクして面白いです。
その池田先生が、発達心理学の新鋭・西條剛央先生と対談。西條先生は、もろ池田理論の信奉者ですから、舞い上がってます。池田先生も煽てられてノリがいいです。「人生は短いのに、働くなんてムダなことだ」と言ってのける池田先生も、ついつい調子に乗って手の内を曝け出してます。構造構成主義。それを知りたいなら、この本から入るのがベスト。
もちろん、今の世界に「客観」があると思ってる科学者はいません。虹の色が文化によって四色だったり八色だったりするように、人間の見る世界は、その人の持っている「言語」に制約されます。古典科学の「オッカムの剃刀」にしても、それは神父オッカムくんの「神が複雑な世界を作られるはずがない」という信仰です。世の中、いろいろ複雑なのにねえ。「真実は一つ」。コナンくんもクリスチャンなのかな。客観的真実の実在を保証できるのは「神」だけ。人間は知性を使ってそれに近づくしかない。そう長い間ヨーロッパの人たちは思い、「科学」を構築してきた。でもそれは、ヨーロッパの言語に縛られた認識の「科学」に過ぎないことが明らかになってきた。だとしたら、これからの時代、どう「科学」は成立させれば良いのだろうか。
言語の文法を司る「ラング」が個人的な産物だという、池田先生の立脚点が良いですね。「文法というものが客観的に存在する」。これは、学校教育による誤解。そんなもの、あるわけないよ。ラカンも言ってたなあ。子どもが発達の過程で「文法」を教わる機会はない。うん、ない。でも、「文法」に沿った言語を操っている。自分の経験から自分の「文法」を作り上げている。とても個人的で恣意的。そして、それは文化の中で伝播されるように見える。これをどう記述するかがポイント。ここに構造主義的な考え方を応用していくわけです。「客観」は主観的に構成され、それが「他者」に出会うことで方向付けられていく。
西條先生の「関心相関性」という切り口も良いな。世界は、主体の関心によって切り取られています。「心理学の基礎として統計学を習って良かったです。どんなデータも、実験者の関心次第で変わってくると分かりましたから。人の論文を疑いながら読めるようになりました」。これもそうだな。実験心理学をやってるなら知ってることだけど、自分の仮説に合ったデータ以外は論文に載せないんだよね。そういうのは大量に出来ちゃうし、それ自体からは何も出てこないので、バッサリ切り落とす。でも、そのデータに意味があるかどうかは、その実験者の「関心」でしかない。
たいていの科学の発展は「失敗した実験」から生まれる。天才と呼ばれる人たちは、まあ、マゾだ。バカ正直だ。池田先生も書いてるけど「本当に大事な研究」では、すぐに結果は出ない。文科省も予算を付けない。研究を続けようと思えば「私の仮説が正しいと証明された」と言える論文を量産するしかないし、それは「失敗した実験」を黙殺するしかない。だけど、「失敗」のないところにパラダイムの変化は起こらない。東大からノーベル賞が出ない理由だな。次に日本からノーベル賞が出るなら、私学、それもこの二人のいる早稲田大学じゃないかって気がしてきました。心理学から出るかな。まあ、出てきても日本の学会なら潰しちゃうかもね。