呪の思想

呪の思想 (平凡社ライブラリー)
呪の思想 (平凡社ライブラリー)白川 静 梅原 猛

平凡社 2011-04-09
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なるほど、このお二人は立命繋がりだったのか。漢字学の大家・白川先生と古代日本史の研究家・梅原先生。二人とも今はもういない。あれ? 梅原先生は生きてたっけ? 見掛けないから亡くなってるよなあ。まあ、もういない。二人の偉人の対談。このレベルの教養深い会話は、他の大学人では聞かれない。これだけ学識のあるホンモノはこれからも出て来ないのだろう。
山場が二つあって、一つは論語、もう一つが詩経です。前半はそれまでの助走ですね。白川先生の漢字解説。甲骨文字から研究してる人だから、語源の読み取り方が尋常じゃない。「道」という字を見て「これはね、もとは導という字なんですよ。夷狄の棲む地に侵略して行くとき、相手の捕虜の首を持って突き進んで行く。だから、ここに首を書いて、下の寸のところが手の形をしてます」みたいな話をされると、うぎゃーってなります。白川先生って漢字を見るたびに「白骨化した死体」や「乳房に入れ墨をした女性」の姿が見えるんですか? すごいです。でも象形文字の始まりがエログロなのはさもありなん。だって甲骨文字って祭祀器具の銅鐸とか描かれた呪文。呪いが掛かっています。「文字」なんかじゃない。部族の神々と通信するための手段。儀式とは本来そういう性格のものです。
だから論語に突入し、孔子の実像に迫るところも面白い。儒教の「儒」とは何かと言えば「需」。雨雲に向かって祭壇を作り、そこに生贄を捧げている象形文字。それに従事する人間が「儒」。呪術集団。孔子の言う「礼」とは呪術のことです。当時は金と権力が物をいう、封建主義的な時代。そこに太古の呪術を復活しようとした時代遅れな男。それが孔子様。彼が説こうとしたのは、上司におべっかを使う道徳なんかじゃない。宇宙の流れを読み取り、それを変えていく個人の力の話です。主君に徳がないと見れば、あっさり見捨てる。社会的な規則に縛られない。なにより「天」という上位概念を見据えていた。孔子の先進性は、その「天」を神格化せず、法則性のある原理と捉えてるところですね。その原理を掴みさえすれば、天候を左右できる。天候どころか、あらゆる自然現象をコントロールできる(あるいは予測して、対処できる)。科学的思考の萌芽があります。まあ、当時の中国人には理解されず、一生誰にも仕えず、ニートで終わるわけですけどね。時代が追いつかなかったのでしょう。いまだに論語規範意識とか経営術とかで読まれてるようじゃあ、孔子様も不幸です。
そして、詩経。もう全く知らない世界。でも白川先生にかかると、この中国の歌曲集が、生きている人間の慟哭や告発の言葉になります。そりゃあ、そうだ。ずっと戦争をしてた国だ。のんびり自然の美しさを詠んだりはしない。そこには、部族間の争いが反映し、自分たちが滅ぼした部族の霊を慰めるための仕掛けがある。その仕掛けが修辞法として詩の構成を複雑にし、豊かにしていく。詩経に採取されている漢詩は、もともとは声に出して歌われたもの。今あるロックやパンクの歌詞を、そのメロディを省いて記録したようなもの。じゃあ、どこで歌われたのか。どういう時代背景に基づいたメッセージ・ソングなのか。そういう観点から問い直せば、やっぱり「死体」の前なんだよね。勇敢に戦った敵兵を褒めたり、望み半ばに死んだ仲間をねぎらったり。そして、政権を握る為政者への呪いであったり。
この本、読み終わるとくらくらしますよ。学問が、重力に縛られないイマジネーションと地道な裏付け作業の産物だということを再確認できます。これだけの仕事をこなす教養人は、もう出て来ないよなあ。戦後の混乱期にたまたま立命大学が拾っただけで、この思考法は「行儀」が良くない。孔子様と同じで、時代の先を行っちゃってます。