うつ病の行動活性化療法

うつ病の行動活性化療法: 新世代の認知行動療法によるブレイクスルー
うつ病の行動活性化療法: 新世代の認知行動療法によるブレイクスルークリストファー・R・マーテル ミッシェル・E・アディス ニール・S・ジェイコブソン 熊野宏昭

日本評論社 2011-07-01
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日本で「認知行動療法」として紹介されてる理論は1970年代のシロモノで、今は「第三世代」と呼ばれる新しい波がアメリカでは起こっています。立命大の武藤先生が精力的に訳してるACTやDBT、FAPといったあたりですね。去年から日本の精神科でも認知行動療法が保険点数になったため、付け焼刃のような認知療法が現場で使われてますが、それが40年遅れの内容だとすると、最終的には「認知行動療法は使い物にならない」という結論が待っているだけでしょう。そりゃあ、Windows7のご時世にWindows3.1を持ち出して「パソコンは使い物にならん」と嘆くくらい愚かです。バカどもですね。
さて、あとがきで熊野先生がまとめてくださってますが、この本の「行動活性化療法」を単独で評価するより、現代の認知行動療法を理解するための「ミッシング・リンク」と見るのが良いかもしれません。1990年代の理論です。ラディカル行動主義の匂いがプンプンするので、そのままは信じ難いところもありますけど、そのラディカル行動主義でさえ「文脈」に注目し始めたことがポイント。もはや、個人内の刺激ー反応関係では見ない。その人が生きている「状況」を考慮に入れ、ケース・フォーミュレーションする。つまり、見たてを立てる。精神分析で言えば、ミッチェルの関係分析やストロロウの間主観性心理学と同じ。「内界」ではない。「個人」を見てしまうと、見落とすものが大きい。「その人が生きているところ」を見ていこう。1990年代、アメリカの心理療法はそういう方向に進み出した。
一つは、システム療法を各流派が吸収し始めたのがあるかも知れません。もう一つは1980年にWHOが対人関係療法を「うつ病にもっとも効果がある治療法」と認めたことに関係ありそうです。サリヴァンの再評価が起こり、「個人」から「関係性」へのシフトが起こる。日本では中井先生がいて、早い時期からサリヴァンが評価されてたので「何を今更」な感じは否めないですけど。
そう考えると、行動療法の第三世代がいずれも「何の違和感もない」のは当たり前か。中井久夫先生や木村敏先生のような、あまり従来の理論に囚われない達人たちがいる日本では「関係性」が先に取り扱われてきたのだから。「あいだ」とか「場の理論」とか。確かに「個人」が確立していない日本だったから「あいだ」を扱うのが容易だったのかも知れない。でも、そのステレオタイプは怪しいなあ。「あいだ」が見えてなくて振り回される日本人ばかりだったから、それが見えてる先生方がすごい、とも言えるでしょ?
ともかく、アメリカでは「文脈」を考察対象にする心理療法が動き出している。そして日本では、それ以前の「個人」に逆戻りをし始めている。どうやら、現代はそういう状況らしい。まあ、どちらにしても、百年後の心理療法家から見れば「まだ心理とは何かが分かってなかった頃の、愚かなセラピーごっこ」って笑われちゃうんだろうだけどね。でも、その百年後に繋がるのはどちらの道かな? ・・・どちらでもない感じもするけど(「個人」を見ると、セラピストが「無関係」になってしまう。「文脈」を見ると、それはセラピスト個人の「お話」でしかない。このジレンマがあるからなあ。それを百年後はどう乗り越えているか)。