生きるとは、自分の物語をつくること

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)小川 洋子 河合 隼雄

新潮社 2011-02
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小川洋子さんと言えば河合先生のもあった、ということで読んでみた。こちらも小川さんの聴き方がうまいです。相手が用意してなかった話を引き出している。あのヘラヘラしてる河合先生を、ぐっと黙らせた瞬間があるのが凄まじい。良い言葉を交わし合っている。ただ対談としては、これから面白くなりそうなところで終わってます。河合先生が死んでしまったからです。
ある意味、河合先生の人生行路を浮き上がらせる対談ですね。たった一つのテーマが形を変え、反復しながらこの人は生きてきた。


 西洋的近代的な考え方と、東洋の古来の考え方は、こう違うけど、でもこの両方をなんとか生きなあかんのちゃうかって、黒板にそういう絵を描いたことがあるんです。するとドイツ人がすぐ質問して「プロフェッサー、すまんけど、その2つを1つにした絵は描けないか」ていうんです。それで僕は黒板の裏側に行って「この辺にあるんじゃないかと思うけど、描けませんね」と言ったんです。みんなワーッとなりましたが、平面には描けない。


この段で、全ては語られています。河合隼雄先生が人生賭けてやってきたのは、これだけ。学校に行くか行かないか、発達障害があるか無いか。いろいろな「常識的」二分法の中で人間は生きている。社会は境界線を引き「あなたは向こうの人」と排除するし、排除されたクライエント自身も同じ二分法で自分を卑下する。でもカウンセラーはその二分法を壊さないといけない。そのこと。たぶん、「中空構造」とか言うのも本当は日本社会のことではなく、善悪や陰陽の二分法に対し、第三項を導入することで対立を解消してしまう治療論のように思います。矛盾を矛盾のまま抱えながら生きていけるにはどうすれば良いか。そこに「平面には描けない絵」がある。
この対談では、平凡な一般人に対する嫌悪感が漂ってますね。問題や障害を抱え人生に苦しむクラエントに対し、河合先生はとてつもない憧れを持っている。クライエントのように二分法を乗り越えたい。でも自分はそれが出来ない。その苛立ちが隠れている。ちゃらんぽらんだからねえ、先生は。二分法を超えることを模索しながら、その実、自分自身は「西洋と東洋」「近代と古来」の二分法に囚われている。自覚が無い。「なんでも明確に境界線を引いてしまう西洋人」という「境界線」。そんな分け方自体、自分の内的分裂が投影されたモノに過ぎない。分かりそうなんだけど、分からずに死んでいったのかな。業が深いな。


自分が分かるには、まず自分が分かれるしか無い。単体のままではただの塊。二つに割れ、その二つが離れることなく対話するとき、そこに「自分」が語られていく。そのプロセスが人生を編み上げる。それが「平面には描けない絵」の正体。それにしても「自分」て言葉、凄いよなあ。「自ずから分かれる」と書くんだから。