ホワイトヘッドの哲学

ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)
ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)中村 昇

講談社 2007-06-08
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あ、前回の「渦中の心理学」の分を「状況論っぽい」と言われてしまうと、ちょっと違うかなあ。「状況ごとに人間の心理状態が変わる」って話のつもりではありません。巷には役割論やらモード論やら出てきてるけど、そこまで人間が受け身な存在とは思わない。もう少し人間って主体的な生き物だと思う。簡単には変化しない。ピアジェの「同化と調節」やサリヴァンの「観察と関与」のように、状況から影響を受けつつも、状況に対して働きかける存在としてある。自分に合うように状況を変えようとする頑固さがある。そういう相互性を描き出したいのだけれど、まあ、僕自身の表現がまだ練れてないから誤解を与えてるようで、すみません。
今イメージしてるのは、ホワイトヘッドが描写した「抱握」。個人を主とするのでなく、状況を主とするのでなく、互いに作用し合う関係の中で「心」が生まれてくる。力の混ざり合うところに現象が生じてくる。そこあたりのこと。それは、個人と状況、どちらかだけを切り離しても実情に合わない。ここあたりから進んでいけたら、河合隼雄が夢想した「華厳思想的な心理学」が見えてくるかな、と思って。そいつが本当に有効な心理療法に繋がるかどうかは、分かりません。全然ダメダメな可能性もあるけど、とりあえず何でも「親の育て方」で説明する連中らにはうんざりしてるし、かといって「どう関われば良いか」という、セラピスト側が自らクライエントの「状況」となって、働きかけていく側面を残さなければ仕事にならない。
「深層心理」や「脳の障害」だけを見てても仕方ないんです。結局はそれをどう「関係」で扱えるか考えないと「心理療法」の射程に入ってこないから。