「渦中」の心理学へ

「渦中」の心理学へ―往復書簡心理学を語りなおす
「渦中」の心理学へ―往復書簡心理学を語りなおす浜田 寿美男 伊藤 哲司

新曜社 2010-12-01
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発達心理学の大御所浜田寿美男先生に、東南アジアのフィールドワーカー伊藤哲司先生が「心理学」について尋ねていく往復書簡。エンジンが掛かるまでに時間が掛かりますが、掛かってからは面白いですね。今ある「心理学」の問題点が浮き彫りにされてくる。


 まるで周囲の状況とは別に「心」というものがあって、その「心」をなんとかすれば状況も切り開かれていくかのように思ってしまう。だけど問題はそんな簡単なものじゃないし、むしろ話は逆で、状況に合わせ「心」を矯めていけばいくほど、問題は放置され、状況は厳しくなる。そこのところがなかなか見えないんですよね。


全くそうですね。心理学はその「心理」という言葉に騙され「心」ばかり見つめてしまう。個人の「内面」を想定し、そこだけを題材として思案する。「心」が脳にあるのか魂にあるのかは些末なことです。だって、探す場所を間違えているから。たとえば脳だけを人体から取り出し栄養や酸素を与え、生き長らえさせる装置を作ったとしても、その脳は「心」を持たないでしょう。外部からの刺激が遮断され、何も経験を積んでいない胎児の脳を培養したものだとしたら。何も感じないし、考えない。働きかけるべき「外部」がないなら、考えても意味がない。
「心」は状況との交流の中で生まれる。というか、個人と状況との間で起こる相互作用が「心」です。個人の「内部」にあるのではない。今いる状況において、つまり「渦中」において発生するのが「心」。その視点から「心理学」を構築するのでなければ、いつまで経っても「宗教」の域を出ません。
浜田先生の凄さは、その心理学の実践を「冤罪事件の調査」に賭けてるところ。殺人事件の裁判で、有罪を宣告された被告の人の「自白」を取り扱い、再審で無罪を勝ち取っていく。その「自白」が取り調べの中で、誰が被告となっても「捏造」可能なものなのか、それとも当事者でなければ分からない事実が含まれているかを心理学的な手続きで証明していく。敏腕です。そして他の心理学者は誰も関心を持たない。孤立無援な闘い。
本当は、こうした「渦中」を扱うのは臨床心理学のはずです。でも、今の臨床心理学にそんな「野望」は無い。資格制度が整備され、行政機関と密着した関係を続けるうち「お役所の犬」に成り下がった。「発達障害」が流行ってるのも、そのせいでしょうね。これって「学校のせいではない。その子が生まれつき持つ障害なのだ」という、公教育への免罪符ですからね。1970年代「学習障害は器質疾患である」という仮説が、その根拠も無くアメリカで広まったのは、教育効果の無能さを保護者からの裁判で行政が責められることが続いたから。まあ、アメリカは訴訟社会だから、なんでも裁判沙汰になる。自己チューなモンスター・ペアレントと、腰抜けな教育行政が相乗効果を起こすと、「問題は子どもの発達のせい」理論が登場して仲を取り持つ。「心理学」は御用学者になりそれっぽい説明を施し、子どもはスケープゴートにされる。日本も、そんなアメリカの後追いをしています。
「渦中」から考えること。今の状況を打破するにはそこから始めるしかないし、単なる「心理学主義批判」のように、「外」から揶揄して善人ぶるのでもない。泥まみれになる心理学を、今から始めること。