ユング心理学と仏教

ユング心理学と仏教
ユング心理学と仏教河合 隼雄

岩波書店 1995-10-20
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前回の松木先生の本で「解釈をしなくて、なぜ分析と言えるんだ?」という疑問が今の心理学界にぶつけられてますが、河合隼雄先生だったらどう答えただろう? その答になりそうなのがこの本。1995年の、たぶん思索家としての河合先生の到達点。この後は、どうでもいい心理士資格問題やら文化庁の仕事やらに忙殺され、あんちょこな対談集しか出なくなったからなあ。一般向けの話なんて、他の人たちにやらせといて、河合先生として突き進めるところまで突き進み、後世にいっぱい「宿題」を残しておいてほしかった。とりあえず、少ないながらの「宿題」が「ユング心理学と仏教」です。
はっきり言ってこれ、「仏教」ではありません。普通の日本人が思い浮かべる葬式仏教でないのは当然として、道元とか親鸞とか、そこあたりの仏教でさえない。華厳思想です。華厳思想って知ってますか? 曼荼羅と絡めてありますが、真言宗じゃないですよ。事象を解析するのに、事象自体を見るのではなく、事象間の関係性から分析していくという仏教哲学です。奈良時代に伝わり、平安時代には衰退した。「差異と反復」という、恐ろしくポスト・モダニズムに近い理論です。そんなの「東洋思想の根底にある」と言われても、無いです。だって、誰が知ってるんです? 華厳思想の「四種法界」を解説できる人、身近にいますか? いないでしょ? いないのを分かった上で河合先生は、これを「日本での心理療法の基礎」に置こうとしています。これは謎です。そして直感的には、この方向性は正しい。この方向でなければ、日本の心理療法は生き残れない。
もともと、河合先生は「解釈好き」な人でした。クライエントの夢や箱庭を解釈し、その心の苦しみを治そうとしていた。なにしろ帰国して早々は「日本で唯一のユング派分析家」としての自負がある。戦略的に、ユングの理論を普及させるよりも、まずロールシャッハで名を挙げ、箱庭療法を各地で紹介し、クライエント中心療法的なカウンセリングを講義した。機が熟するのを見て、ぽつりぽつりとユング派の治療論を小出しにし始めたとき、会っていたクライエントさんに言われます。「私がここに来てるのは、治してほしいからではありません」。そこで方向転換が起こるのです。言葉が出なくなります。寡黙になります。それは自分の「解釈」に、河合先生自身の欲望が隠れていることに気づくからです。この欲望と向き合っていくこと。欲望を押し殺すのでなく、欲望に操作されるのでないスタンス。そのモデルとして明恵上人を発見し、華厳思想へと傾倒していく。
でも、この後をたどってる「ユング派」がいない。口真似だけ「ユング派では解釈を口にしません」とか言って。「口にしない」ではなく「口に出来ない」んだよ。自分の欲望も見据えながら面接をしてると。


後、この本では珍しく「母親の思い出」のエピソードが2つ出てきます。河合先生は「父親」を書くことは多くても、「母親」はあまり出さなかった。でもこの本では出ています。どちらも、河合先生が無意識的に自分の母にケガを負わせてしまう話です。「潜在的敵意はないはずなのに」と書いてられるけど、明らかに「敵意」が潜んでます。でも意識化することを逃げてたんだろうな。