絶叫委員会

絶叫委員会
絶叫委員会穂村 弘

筑摩書房 2010-05
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ほむほむ。魔法少女ではなく詩人の穂村弘。どう読んでも、デビルマンネタやプロレスネタが出てしまうあたり、昭和時代の生き残りな匂いに親しみが湧いてしまう。同類よ。
まず「マツダのちんこはまるっこい」に捕まった。立ち読みしたのがここじゃなかったら、この本は買わなかったかも知れない。日常の、普通の生活をしている普通の人たち。その普通の中に突如裂け目が生じ「詩」が飛び出してくる。そこを捕まえてるんです、穂村先生。きっと、その「詩」を口にした小学生は、自分がいかほどの幸運に恵まれたか気づかぬまま、歳を取り平凡な会社に勤め、何も取り柄のないまま老い果てていく。だから、素敵な「詩」を穂村先生はスナップショットに収める。この「まるっこい」は本当に良い。輝いてる。きっとその少年は、マツダの弱点を突いた悪口のつもりだったのだろう。でも「まるっこい」って何だ? 「ちいさい」のような、世俗的価値観とレベルが違う。「まるい」のような、客観的形状への言及でもない。確かにそこには「感触」がある。少年、お前、マツダの握ったことあるだろ?
他にも「同じ戌年でよかったね」や「一分でエネルギーを貯めろ!」「インフルエンザ防御スーツ」のような、素敵な言葉の世界があり、「怪人二十面相はこんな油断しないと思うけど、でも江戸川先生が書くから本当のことだろうね」という、言われたほうはどう返せば良いか分からない、ああ、その場にいなくて良かったと思わせる恐ろしい言葉まで、よく聞き落とさずに書き留めてるなあ。言葉たちは遊んでいる。独自の生命を謳歌しながら。その遊びを、穢れた僕たちの耳では拾い切れてないのかな。脳みその中で、つまらない定型句に置き換えて「理解」しちゃってるんだろうな。セラピストも、現実の裂け目に寄り添う仕事なのに、ちょっと情けない。


銀髪の吸血鬼フレッド・ブラッシーが母親から「リングの上のお前と、私の知ってる優しいお前と、どちらが本当のお前なの?」と泣きつかれたとき、ブラッシーが答えた「どちらも本当の私ではない」。ひたすら格好良い。