時代が締め出すこころ

時代が締め出すこころ――精神科外来から見えること
時代が締め出すこころ――精神科外来から見えること青木 省三

岩波書店 2011-02-25
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川崎医大の青木省三先生。思春期外来の第一人者だからずっとお若いイメージを持っていたけれど、もうすぐ還暦ですか。個人的には、ミルトン・エリクソンを紹介してくれた人としてカウントされています。技法ではなく、とても人間的なミルトン・エリクソンを。感謝してます。
そんな青木先生でさえ、昨今のテーマは「発達障害」。でも、診断して終わりのお医者さんではない。診断してからが「セラピスト」の勝負所です。どこまでもクライエントの生活に密着して、彼らの「生きづらさ」に共感しながら「生きることが楽になる道」を探していく。青木先生のアプローチはミルトン・エリクソンの「ユーティライズ」ですね。活用。魚に逢えば、魚を水に帰し、鳥に逢えば、鳥を空に帰す。それぞれの人には、それぞれに生きやすい居場所がある。主体と環境のミスマッチが「障害」なのであり、主体個人が「障害」なのではない。自分を活かせる環境がどこかにある。それを一緒に探していくのが青木先生のアプローチです。
しかし本来それをやっていたのが「教育」だったはず。ところが、いま先生方が著しく自信を無くしてますね。手に余る子に出会うと、すぐに医療を紹介し、「どうしたら良いんでしょうか」と丸投げしてくる。こっちは単に、WISCを取っただけの心理士です。その子の日常を見てるわけじゃない。そんな人間に、なんでまた「指針」を仰ぐのでしょう? 自分たちが今までその子と過ごしてきた「時間」は何だというのです? あなた方のほうが関わってるじゃないですか。「発達障害」が世に知られる前から、そうした傾向のある子どもたちと日々を過ごし、試行錯誤を繰り返しながら経験を積んできたのは、学校の先生方じゃないですか。自分たちのやって来たことに、もっと胸を張ってもいい。というか、張ってください。見てると、情けなく感じます。
青木先生も同じ心配を書かれていますね。教育現場の先生方が、マンパワーの不足している職場で世論に責められながら憔悴している。その醸し出す「空気」に当てられ、「発達障害」の子らも音を上げる。苦しい。息苦しい。「空気」を読めなくなっているのは誰なんだ?


あと気になったのが、この排除的な空気において、「障害」が差別の対象となりつつある流れ。診断は付けた。でも、その子の「人生」は考慮されない。医療も教育も彼らを助けない。でもこの本にあるように、都会では引きこもっていた子も、漁村では、誰にでも声を掛け、性格に裏表なく、ややズレた応答で場を和ませる「味わいのある人物」になる。何も変わったわけじゃないけど、「自分は受け入れられている」という感触で、前向きに生きていけるようになる。なのに都会では「発達障害」が「不治の病」のように語られ、就職差別や結婚差別に繋がってきてる。これは「専門家」の責任だよなあ。責任とって腹切れ、と思うよ。