言葉と脳と心

言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)
言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)山鳥

講談社 2011-01-18
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「何でも、は知らないわよ。知ってることだけ。」(羽川翼


失語症研究の第一人者山鳥先生。多くの患者の治療に当たり、先端の研究成果を把握されている大家ですが、すごいな、「結局何も分からない」と正直に書いておられる。分からないことを「分からない」と言えるのが、高度な知性のあり方。それは本書を読めば分かるのですが、通常の意識活動には、自分の分かっていないことまでも「説明」してしまう横着な性格があります。右脳半球に障害を受けた患者さんは、左視野に見えたものを認識できなくなるものの、適当に「説明」します。「新しい手がもう一本生えたんですよ。昨日、畑で拾ってきました」みたいな作話をする。そして、その不自然さに気づかない。それが通常の「意識」。山鳥先生のように「分からない」を把握するには、意識活動を抑制する、もう一段上の「知性」が要ると思います。
本文のほうはブローカ失語ウェルニッケ失語、あるいは分離脳に関する話で、おおむね40年前から何も変わっていない。MRIなど診断技術の革新があったにも関わらず。それもそのはずで「左側頭葉に言語野があります」という単純な理解が、研究の蓄積により崩壊したからです。違うんですよ。心は脳ではない。パソコンで言えば、脳はハードウェア、心はソフトウェア。mp3ファイルがデコードされ、音楽として流れるようになる仕組みを、手許のノートパソコンを分解したところで分かるわけがない。調べるレベルが違うのだから。言葉が出てくる仕組みはソフトウェア。たぶん、いろいろなモジュールが絡み合っています。だから仮説を立て、それを患者さんに確認することで検証する方法しかない。脳の断面図からは分からない。
ソフトウェアを理解するには、それを表す概念を創る必要がある。音韻塊やプロソディ、情動性感情や感覚性感情、さまざまな概念を用いながら、山鳥先生は言葉と心の関係について解明しようとされています。きちんとした「学術的思考」。こういうの、気持ちいいです。読んでいて、ある患者さんのことを思い浮かべました。脳卒中の後、認知症になられたお父さん。表情は固いのに、こちらからの話し掛けには冗長なほど長い文章で返答してくれる。しばらくして、表情も和らぎ、様子も落ち着いたのですが、そのときは「ショックによる躁的防衛」と見立てました。でも、この本を読んで「あれがハイパーラリアか」と気づいた。大事に至るものでなくて良かったけど、本当に人間、自分の無知に甘すぎる。「分からない」が言えるようにならないとね。