フロイト著作集 第9巻

フロイト著作集 第9巻 技法・症例篇
フロイト著作集 第9巻 技法・症例篇フロイト 小此木 啓吾

人文書院 1983-01
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どうもフロイトが読まれてないよなあ。もしあなたが哲学者ではなく「臨床家」になりたいのなら、第9巻は読んでおいてください。精神分析の実際的な技法について書いてある論文集です。精神分析に限らず、認知行動療法も解決志向アプローチも、この論文集のどれかを敷衍したものです。それくらいアイデアの萌芽が詰っている。
中でも重視してほしいのは「分析医に対する分析治療上の注意」。面接の記録を取ってはいけない、とか、本能を昇華させるのではない、とか、過去の家族関係が原因なのではない、とか、ほとんど「精神分析」について常識とされていることが覆されてます。じゃあ、精神分析とは何か。それは自由連想。それも、分析家側の自由連想フロイトは奨励しています。「平等に漂う注意」と呼んでますけど、それって自由連想なんですよ。面白いなあ。ビオンの「もの想い」ですよね。これで何が起こるかというと「通信」です。電話のメタファを使ってます。患者と分析家の無意識が繋がり合ってコミュニケーションを行う。そのことが治療的に機能するという考えです。
人間はそのときその場でいろいろなことを体験しています。痛みや憎しみ、喜びに快楽。そうしたものをいちいち意識化しては身が持たないので、たいていは体験レベルに留まっている。意識レベルにまで情報化されることはない。もし意識化されれば、対話などでコミュニケートすることが出来ます。アサーティヴ・トレーニングの領域ですね。でも、情報化されなかった「なまのデータ」はどうなるか。実はそれもまた、体験レベルでコミュニケートされる。つまり、二人の人間がその場にいれば、意識レベルと体験レベルの二重化したコミュニケーションを行っているわけです。昨今の脳科学で、ミラーニューロンの一部が言語野と重なってるのと関係あるかな。
分析家は、そのうち体験レベルのコミュニケーションに耳を傾ける。なぜならそれが、その人の「症状」とされるもの、人の中にいて自らを生きにくくさせている部分だからです。「症状」は語る。聞き手を求めて、メッセージを送信している。その聞き手となること。それが分析家のお仕事、ってわけです。良いよなあ、フロイト。本当に心理療法の本質を突いている。ホンモノとされる臨床家は、何療法であれ、そこから外れない。ロジャーズの「傾聴」もこの点から捉えないと、三原則との関連が分からなくなりますよ。