いけちゃんとぼく

いけちゃんとぼく
いけちゃんとぼく西原 理恵子

角川書店 2006-09-01
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君はもう忘れたかも知れない。でも確かに僕たちにあったこと。
身を削りながら麻雀放浪記を書いてた頃のほうが好きですけどね。西原理恵子。結婚して、子どもが出来て、旦那さんを亡くして、最近「人間」が出来てしまいました。ガサツなフリをしても、それがフリなのが透けて見えてしまう。だいたい元は「はれた日は学校をやすんで」のような、繊細な人です。その乙女心を失わずにいるのは全然不思議じゃない。だから、人生の後先を考えずに突っ走ってた頃が良かったんだけどなあ。全身から血を噴き出しながら爆走し、その痛みをリアルに描いていた。
「はれた日」が女の子を描いているとしたら、「いけちゃんとぼく」は男の子の成長。よく知ってるなあ、と思う。お湯を沸かしてアリの巣に流し込む復讐心。トンボの頭をもいで万華鏡で見る残虐さ。夜トイレに行こうとするとオバケの気配を感じてしまう霊感力。どれも僕たちの通ってきた道。生き死にの、細い吊り橋を渡っている。大人に感づかれると面倒くさいことになるから、適当に言い繕って隠してもさ。ここじゃないどこか、現実とは別の次元に片足を突っ込んでいる。半身に割れている。それは、大人の目の届かないところ。「家庭」や「学校」は、「子ども」なら育てられるかも知れないけど、「少年」を育てることは出来ない。「少年」を育ててくれるのは、暗い森の中や一人の留守番のとき。心は波打ちながら、大きく大きくなっていく。「現実」なんて枠には入らないよ。もっと違う力に翻弄されている。山の下り坂を走って転げ落ちるしか無い。
ハラハラするね。どこに着地するか、予想なんて出来ない。放っておくと死ぬかもね。でも押し殺してしまっては、元も子もない。それが「少年の時代」。そして、君にもいたと思う。そんな君を、祈るような気持ちで見守ってくれた「いけちゃん」が。もう忘れたかも知れないけど。きっといたんじゃないかな。