家族療法の基礎理論
家族療法の基礎理論―創始者と主要なアプローチ | |
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家族療法は一口でいえば、竹ヒゴ理論。竹ヒゴの両端を持ってしならせたら、真ん中からポキッと折れるじゃないですか。その折れたところがIdentified Patient、つまり「その家族において患者とされた人」。従来の精神療法は、その「患者」を心理的に強化することを「治療」だと思っていた。折れたところを紙テープでぐるぐる巻きにしてね。折れにくくすれば大丈夫だろう、と。でもそんな応急処置では、今度は紙テープの両脇が折れる。お父さんがうつ病になったり、娘が不登校になったり。ただ、家族の「別のところ」が折れるだけ。
もともとセリエが使った「ストレス」という言葉は「適応」という意味。プレッシャーが掛かっているときにポキッと折れれば、プレッシャー自体を緩和できる。「症状」は、そのシステムの適応方法なわけです。個人でも家族でも。でもその「適応」だとちょっと困る。だからセラピーに訪れる。そういう意味で、家族全体へのアプローチは2通りあります。家族に掛かっているプレッシャー自体を見極め、それを緩和する方法。それと、家族の中にわざと「折れても構わないところ」を作り、そこで圧力を逸らせる方法。たまに無礼講の日を作るとか。そこあたりの具体例は、この本に並べられているのでご参照を。
ただまあ、その「変化」は出来るだけ微細なものが良い、というリンさんの意見は本当です。アメリカの言語哲学者クワインが言うように、どういうシステムもノイラートの舟。システムに構造的欠陥があるにしても、かろうじて航海できているなら、それを大幅に替えようとしてはいけない。家族なんて、家族成員が成長したり独立したり老齢化したりして、いつも変化しながら辻褄合わせしている。それで取りあえず壊れずに済んでるのに、セラピストの勝手な「理想の家族像」に合わせて介入すれば百害あって一利無し。与えるのは小さな「変化」で良い。固まっていたものが動き出せば、後はその家族自体でほどよい形態に変わっていくだろうし、「自分たちで解決した」という結末でないと「雨降って地固まる」にならないからね。