善人ほど悪い奴はいない

善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学 (角川oneテーマ21)
善人ほど悪い奴はいない  ニーチェの人間学 (角川oneテーマ21)中島 義道

角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-08-10
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人間嫌いの中島先生だから、同じ人間嫌いのニーチェと相性が良いのかと思ったら反対でした。中島先生の目からするとニーチェでさえ甘チャンなんですね。お見それしました。
ニーチェは要するに「人間どもはみな家畜だ」と暴いた男です。迷える羊に自らを喩え、羊飼いたる救世主を求めている。なぜかと言えば、自分で問題と向き合うのが面倒だから。そんな辛気くさいことは誰か他の人がやれば良い。俺たちは弱者だ、被害者なんだ。だから誰かが俺たちを救う義務がある。そういう態度を無自覚にまき散らす連中が自分を「善人」と呼ぶ。この反吐が出るような、醜い世界。こんな地球なんか滅んじゃえば良いのに!
でも、そういうニーチェも、家畜を脱ぎ捨てる超人の姿を描き出しながら、自分はそれになろうとしなかった。やっぱり、誰か他の人にやってほしいと思っていた。これじゃあ、言ってる本人も「畜群」の片割れ。家畜どもを見下ろす小高い丘の上に立ち、「自分は彼らの正体が見えてるから、彼らよりも偉いんだ」と思い込んでるだけの厨二病。同じ檻の中に繋がれたままなのに。いつの時代にもいるし、孤高のうちに孤独死するだけ。
でも妙なのは、近頃ニーチェがブームになってることですね。他の連中より小高い丘に登って(それも簡単な手引書を読む程度の労力で)「自分はあいつらとは違う」と思い込みたいのでしょうか。「ニーチェの言葉」みたいな本がベストセラーになってる段階で「あなたがた」は「一般多数の善人ども」ですよ。おかわいそうに。
・・・とまあ、上記のような態度で他人を見下してるうちは、実は檻の外には出てないんですけどね。実に巧妙に出来ている。このルサンチマンの檻は、クラインの壺のように入り組んでいて出口が見つからない。カープマンのドラマ三角形と同じで、「正義の味方」は、誰かを「悪」として排除する段階で「悪人」になっている。でもさすが中島先生。生半可、半世紀も「ぐれる」をやっていません。きちんと抜け道を示してます。