自閉症とアスペルガー症候群

自閉症とアスペルガー症候群
自閉症とアスペルガー症候群ウタ・フリス 冨田 真紀

東京書籍 1996-05
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アスペルガー症候群に関する論文が集められた必読本。アスペルガー自身の治療教育論や、ローナ・ウィングの自閉症スペクトラム概論が読めます。
アスペルガーは戦時中、ナチスによって障害児抹殺計画が遂行される中、子どもたちを守るために「教育可能性」を論じてます。そして、彼の関わりによって子どもたちが持てる才能を花開いていく。ウィングも同じですね。自分自身が自閉症の子どもを持つ母親として、母親グループでの話し合いの中でそれまでの行動療法的アプローチから離れ、それぞれの子どもに即した治療を考案していく。この二本の論文と、他の専門家とでは何か違います。匂いが違う。他の論文は、自閉症を「自分たちとは異質のもの」と見ています。数字をいじったり、ベルトコンベアー上の製品みたいな扱い方をしている。つまり、アスペルガー症候群の研究者のほうが「アスペルガー的」。不思議ですね。近親憎悪でしょうか。
これについては教育哲学の歴史が関係あるのかも知れません。哲学史の中でヨーロッパに起こったのは大陸合理主義。「合理」というのは、人間の中には神から分与された「理性」がある、という発想です。それぞれに「神から授かった種」がある。その種を育てる最適環境を考えるのがヨーロッパ哲学。農業的発想です。それに対し、イギリスでは経験主義哲学が出てきた。ジョン・ロックのように、人間は白紙の状態で生まれてくる、という考え方。どんな人柄になるかは育て方次第。技術を習得させることで子どもをカスタマイズできる。放っておいても何も変わらない。荒れ地の多いイギリスならではの工業的発想。産業革命を裏から支えた哲学です。
自閉症論も、イギリス・アメリカはやっぱり工業的です。英語圏では後天的学習が重視される。それ故カナーのように「親の子育て」に注目し、「ペアレント・トレーニング」に注意が向く。学習理論が説明原理となり、アスペルガー症候群も「社会性技能の学習障害」という文脈で語られる。反対にヨーロッパは農業的。ビネーにしてもピアジェにしても、発達心理学はヨーロッパの産物。develop(発達)とはenvelop(包み隠されたもの)を展開すること。発達には順序があり、その順序を速めず遅らせず、その子の「種」に合わせて育てていく。ローナ・ウィングはそうした農業的発想を持ち込み、学習理論から発達理論へのパラダイム・シフトを試みた。だから「発達障害」なのに、アメリカのDSMで骨抜きにされ、また「学習」に舞い戻っちゃいましたね。
日本は実はこの流れの反対で、もとはドイツ医学の強かったところに、戦後アメリカ医学が流入し現在の状況になってます。戦後の「牧田・平井論争」ですでに「アスペルガー症候群」について議論されている。なのに、今は誰もそのことに触れない。学校教育も、元は「教える」の工業的発想と「育てる」の農業的発想の共存(「教育」って本当に良い言葉です)。でもいつの間にかアメリカナイズされ「人作り」なんて言ってますね。学校が工場のメタファーで経営される。でも「人」って作られるものなんでしょうか?