家族療法プロフェッショナル・セミナー

家族療法プロフェッショナル・セミナー
家族療法プロフェッショナル・セミナー若島 孔文

金子書房 2010-09
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東北大学の臨床心理コースで開かれた、若島孔文先生を中心とする討論会。家族療法やシステム療法の基礎的な概念を洗い直す教科書を目指した本だが、ディスカッション形式でケース検討していくので、まったくシステム的な発想に馴染みのない人にとっても、その「皮肉骨髄」を示す良書になっている。
芸事の道は守・破・離である。茶道から始まった言葉で、初心のうちは「守」、つまり原理原則を守り、自分の立ち居振る舞いを「型」に合わせる時期がある。楽譜どおりに弾く時期。そのうち経験を積むにつれ「破」、習い覚えた「型」から逸脱する時期が来る。「型」のおかげで、現実を味あうに足る経験を得、自ら動き出せる。自分で楽譜が書ける時期。そしてさらに「離」、その自分の楽譜をも離れ、一期一会、Here&Nowに生きる即興を繰り出す境地に到る。若島先生の目指すのはこの「守・破・離」であり、「脱学習」と呼ぶ。最終目標が「即興演奏家」としてのセラピストと知らなければ、この本の立ち位置は見えにくい。
初めから自分勝手に振る舞う「セラピスト」は、実は「先入観」に捕縛された囚人。即興のようでいて、ありがちな歌謡曲しか口ずさめない。それまで生きてきた人生の中で染み付いた「常識」に振り回されるだけで、オリジナリティがない。もちろん「常識」もまた、人を救う。多数の人間による、長い時代のフィルターを経て有効とされた「先人の知恵」である。通常は、それで人は元気づけられたり、人生の航路を修正したりできる。けれどカウンセリングに訪れるのは、その「常識」がセイフティ・ネットとして機能しなかったケースだ。「お母さんがもっと母親らしく接してください」というアドバイスで済むなら、誰がカウンセリングに来るものか。そんな「常識」など、言われたほうも百も承知。「ありがとうございました」と帰り、もう面接に行かないだろう。だからセラピーの基本は「非常識」にある。ジェイ・ヘイリーの言うとおり。「非常識」はもちろん非常識ではない。その家族のシステムを読み取り、家族史を鑑み、そこにはなかったような「ネット」を編み出す創造力である。
その創造力、つまり「離」に到るセラピストを育てるには、どんな原理原則を「守」の時期に身に付けておくべきか。この本のポイントはそこにある。良い本だ。内容的にもなかなかのテーマが選ばれ、若島先生の提示する「公案」も華麗な「離」を示してる。だが惜しいかな、他のメンバーに「匂い」がない。東北大には人材がいない? 「ユーモア」ってそんなダジャレのこと? まあ、それはどこでもそうなんだろうけど、小粒な優等生ばかりじゃ、この「道」に将来はない。21世紀を切り開ける、破天荒な新人はどこに潜んでるんだ?