ケアってなんだろう

ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)
ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)小澤 勲

医学書院 2006-04
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去年亡くなられた精神科医の小澤先生。1960年代、自閉症が「器質疾患」とされることで、医者は診断だけをし、その後は施設収容するという流れを日本の医学会は作ってしまった。小澤先生はそれに異を唱え京大を追い出され、洛南病院に勤務。老人病棟で画期的な介護論を展開し、副院長に推薦されるもそれを辞退。広島の小さな老人ホームに移り住み、そこの医師として職を全うされた。知る人ぞ知る臨床家。慕う人も多く、脳にガンが転移した後、その後輩たちと行った対談集である。刮目すべし。
行く先々でさまざまな精神障害と向き合って来られたので、御自身の人生を振り返り取り出されたキーワードが「ケア」なのだろう。ありふれたこの言葉も、先生の言葉になると奥深い。なにしろ、健忘や徘徊のある患者さんたちも、小澤先生が寄り添うとそうした症状が消えていく。認知症の中核症状と思われているものは、たいてい「二次障害」である。そもそも「中核」と「二次」の区別は、治療者側の「ここまでは治せます」という都合に過ぎない。何を中核として想定するかは、治療者の要因。患者さんのほうの「障害」ではない。
小澤先生が「中核」と見てるのは「出来ていたことが出来なくなっていく哀しみ」。「出来なくなっていくこと」ではなく「哀しみ」に目を向けるのは、そこであれば他人から関わることが出来るから。この「中核」なら「もう少し楽に暮らしてもらう」という目標が導かれる。ケア論とは「自分が関われるところはどこか」と治療者側が考えること。手の届かない問題をいくら考察しても、それは無益。二者関係で動かせるところしかアプローチできない。これはどんな精神障害でもそうで、しかも精神障害の「症状」はたいてい「他の人との関係」で記述できることばかりだから、打つ手がある。そこが身体疾患とは違うところ。相手を治そうとしたとき、この肝心な「関係」が切れてしまう。だから「治さない」。「関係」の中に自らの身を置くことが、いつもケアの出発点。
認知症も「器質疾患」であるが、関わり方次第で「症状」は消える。「症状」というのは実は、患者さんなりの回復しようという努力。その努力に寄り添えば、今より楽な「努力の仕方」は見つかるもの。当然だよなあ。やっぱり、もう少し先生に自閉症の臨床も続けていただきたかった。そうすれば日本から発信できる「療育論」が生まれていただろうに。惜しいことである。
http://www.gsic.jp/survivor/sv_02/05/index.html