ケアってなんだろう
ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく) | |
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行く先々でさまざまな精神障害と向き合って来られたので、御自身の人生を振り返り取り出されたキーワードが「ケア」なのだろう。ありふれたこの言葉も、先生の言葉になると奥深い。なにしろ、健忘や徘徊のある患者さんたちも、小澤先生が寄り添うとそうした症状が消えていく。認知症の中核症状と思われているものは、たいてい「二次障害」である。そもそも「中核」と「二次」の区別は、治療者側の「ここまでは治せます」という都合に過ぎない。何を中核として想定するかは、治療者の要因。患者さんのほうの「障害」ではない。
小澤先生が「中核」と見てるのは「出来ていたことが出来なくなっていく哀しみ」。「出来なくなっていくこと」ではなく「哀しみ」に目を向けるのは、そこであれば他人から関わることが出来るから。この「中核」なら「もう少し楽に暮らしてもらう」という目標が導かれる。ケア論とは「自分が関われるところはどこか」と治療者側が考えること。手の届かない問題をいくら考察しても、それは無益。二者関係で動かせるところしかアプローチできない。これはどんな精神障害でもそうで、しかも精神障害の「症状」はたいてい「他の人との関係」で記述できることばかりだから、打つ手がある。そこが身体疾患とは違うところ。相手を治そうとしたとき、この肝心な「関係」が切れてしまう。だから「治さない」。「関係」の中に自らの身を置くことが、いつもケアの出発点。
認知症も「器質疾患」であるが、関わり方次第で「症状」は消える。「症状」というのは実は、患者さんなりの回復しようという努力。その努力に寄り添えば、今より楽な「努力の仕方」は見つかるもの。当然だよなあ。やっぱり、もう少し先生に自閉症の臨床も続けていただきたかった。そうすれば日本から発信できる「療育論」が生まれていただろうに。惜しいことである。
http://www.gsic.jp/survivor/sv_02/05/index.html