保育者の地平

保育者の地平―私的体験から普遍に向けて
保育者の地平―私的体験から普遍に向けて津守 真

ミネルヴァ書房 1997-05
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港区にある愛育養護学校の校長をされていた津守真先生。心理学を習った者なら「津守式発達検査」をご存知だろう。お茶の水女子大の津守先生は、ある日訪れた療育教室で「先生、たまに来てそんな検査をとったところで、この子たちのことは何も分からんでしょう」と言われ、「まったくそうだ」と教授の職を捨て、一介の養護学校の指導員になられた。本物の漢である。その先生の残された本物の「療育日誌」。
内容はただ日々の出来事が並んでいるだけだが、ウンコやシッコにまみれながらも、学者の目が光っている。自閉症の子どもたちが遊びの中でどう発達していくか、観察している。これに類する研究は、世界中探してもどこにも無いんじゃないかな。大学人は机に座り海外の論文を読んで「自閉症論」の紹介をしてるだけ。何が出来ないかを教えてくれるだけ。現場は日々の忙しさを言い訳に対症療法に明け暮れ、全体像なんて見ていない。子どもの「発達」に気づかない。津守先生はそのどちらのポジションにもいない。だから見えてくる地平がある。
あるのは3つのキーワード。存在感、相互性、能動性。この順に発達は積み上がり、それを土台に「社会性」や「自己表現」が可能になる。これまで行動分析や精神分析がつまずいていたのは、その土台を作らないまま「社会性」や「自己表現」を求めたから、というわけだ(達人たちは自然と土台のサポートもしていたとしても)。それでは成功と失敗の揺れ幅が広くなって当然。発達障害なのだから「発達」を考えるべき。「学習」ではない。
3つの土台は、たとえばこう表現すると分かりやすいかも知れない。存在感は「緊張からリラックスへ」と変化する発達因子、相互性は「孤立から協力関係へ」と変化する因子、能動性は「回避行動から未知への挑戦へ」と変化する因子。存在感が変化すると相互性の変化を促し、相互性が変化すると能動性の変化を促す。能動性の変化が再び存在感に影響し、その幅を広げる。この交互作用が「発達」である、と。発達学者ワロンの影響が見て取れるし、マズロー欲求段階説も加味されてそうだ。
小難しく考えなくても、子育ての経験がある者なら「ああ、あれか」と思い当たるだろう。思い当たらないなら一度反省されたほうが良い。知らないお宅を訪ねたとき、あなたのお子さんはどうしていただろう? そわそわするか、固まるか。どちらにしても緊張である。その緊張がどうほぐれ、最終的にその家の壺を割ったり階段から落ちたりという「いたずら」(挑戦行動)に至るか。それを思い浮かべてもらえば良い。自閉症の子はその一つ一つが未体験なだけだ。どの子にも発達する力は宿っている。それを阻害する因子を抱えて生まれてくる子もいるが、その診断を付けて終わりではない。診断は始まりだ。発達する力を引き出してこそ「治療教育」である。
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