劇的な精神分析入門

劇的な精神分析入門
劇的な精神分析入門北山 修

みすず書房 2007-04-01
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「最後の授業」も読んだからか、ごっちゃになってるなあ。ウィニコット派の北山修先生。もし「戦争を知らない子どもたち」や「帰ってきたヨッパライ」をご存知なら、それを書いて歌ったのがこの先生ってわけだ。
北山先生はへそ曲がりである。それからくどい。昔から進歩がない。ずっと同じ話をぐるぐるぐるぐる引き回してる。北山先生は一度完成してしまった。「あの素晴らしい愛をもう一度」と歌ったとき、定年までの仕事をすべて予言しちゃってるんです。「あのとき同じ花を見て」で共視論を、「心と心が今はもう通わない」で幻滅論を。わざわざロンドンまで精神分析を習いに行かなくても、若いときの「あなた」はすでに知ってました。心とは何かを。後の人生はただ、あの歌の解説を長々と書いているだけです。
精神分析は、ただ一つの図で表すことが出来ます。287ページにある「傷ついた治療者元型」の図。精神分析は内界を探る技法などではない。そんなもの知るすべは無い。あるのは、治療者と患者、二人の間に起こる「出来事」だけ。「心」とは、二者間に生じる、一過性の「現象」なのです。二人の目が届くところが「舞台」となり、互いの目の届かないところは「楽屋」となる。相手の「目」の存在によって、舞台/楽屋の分裂が個人内に起こる。その分裂を学派によって「意識/無意識」「認知/行動」「自己像/体験」と呼び分けてるだけのこと。つまり二者が出会うとき、そこには4つの因子間での交流が起こる。それを見て取るのが「心理療法」なわけです。
でもあなたは「見られたくない」と言いながら、ちらちらと楽屋を見せたがる。見られたことを口実にどこかに去ってしまおうとする「おつう」のように。でも「それ」が本当に舞台裏なのでしょうか。あなたは最後の解説を書いてないのだと思います。「あの素晴らしい愛をもう一度」と口にするとき、その「愛」には何も素晴らしいものなんか無かったという「裏」があることを。